【書こうとするな「翻訳」せよ】
書こうとして書けない理由は、「自分の思い」と「書き上げた文章」との間にギャップを感じてしまうから。
話せるのに書けないのは、「書こうとしてる」からです。つまら、書く事をやめて『翻訳』する必要があります。
頭の中のあやふやな感覚を伝わる言葉に翻訳したものが文章です。
「翻訳」が出来ない人の悩み2選
①文章を書こうとすると固まってしまう
②自分の気持ちをうまく文章にすることが出来ない
①で悩んでる人は、頭の中が整理出来てない。翻訳は頭の中のあやふやなものを「翻訳」したものです。
ますは、「翻訳」を意識付けること。
②で悩んでる人は、頭の中をの「誤訳」している。こちらは、翻訳をもっと具体的にする必要があります。
では、なぜ翻訳をするのか?
↓
「伝えるためです」
伝えたい相手がいるからであって、それは誰であってもいいです。
誰かに何かを伝えたい、繋がりたいと思うから「翻訳」をするし、しなければいけないです。
だからこそ、読者を無視した「翻訳」には意味がありません。翻訳は相手がいてこそ成功します。
たとえ、自分がうまく書けたと思っていてもそれが相手に伝わっていなければ「翻訳」失敗です。
【書く事は、考える事】
「書く技術」を身につけるには、そのまま
「考える技術」を身につけることに繋がる。
例えば感想文を書く時。
物語の内容、魅力、ポイント、欠点などあらゆる事を自分の頭で整理・再構築し、アウトプットしていかなければいけません。
それもそのはず、何も書かなければ(アウトプットしなければ)
「あー、面白かった」だけで終わってしまう。「なんだかよく分かんないけど面白い」で片付けてしまいます。
ところが、感想文を書くためには、
その「なにかよくわからない」部分に、言葉を与える必要があります。
そうして、しっかりと論理に落とし込まないといけません。
書くことの醍醐味、自分の言葉に「翻訳」
することの醍醐味は、
『再構築とアウトプットの作業を通じて、自分なりの「解」をつかむことにあります』
順番を間違えないようにしよう。
『人は解を得るために書くのであって、解が分からないから書く』
つまり「考えるために書く」
書く力を身につけるには、考える力を身につけるのと同じ事です。
「書く」というアウトプットは、思考のメゾッドなのです。
【「翻訳」の第一歩】
翻訳の具体的な方法について。
『聞いた話を、誰かに話す』これは、翻訳の第一歩になります。
話すことによって得られる「3つの再」
①再構築
②再発見
③再確認
「再構築」について、
誰かに「自分の言葉」で話す事によって、バラバラに散った内容を再構築し、理解を深める。
「再発見」について、
自分の言葉に翻訳すふ過程で「ああ、なるほど。あの人の言ってることはこういう事だったんだ!」と突然理解出来る瞬間がある。
「再確認」について、
誰かに話す時に必ず「自分」というフィルターがかかる。そこで、自分が話のどこにピントを合わせているか、改めて思い知らされる。
この3つを意識すれば、書かずとも文章の練習が出来る。
また、「地図・絵・写真」も同様に言葉にしてみるといい。また、説明して描写するゲームをすると面白い。
綺麗に書くためにより詳しく説明してするため言語化能力も身につく。
【「書く技術」は一生使える『武器』になる】
我々は毎日何十通、何百通とメッセージのやり取りをしているがそれは正直言って異常である。
書きすぎだし、書かされすぎです。
この先、文章を書く機会は、増える事はあっても減る事はない。
つまり、「書く時代」が本格的にくる前に、
業種や職業に関係なく生涯にわたって使える武器であるから文章力は身につけるべきです。
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